つれづれ

備蓄癖

私には1歳半上の姉がいます。

結婚はしていません。両親が亡くなってからは、1人で2羽の文鳥たちと暮らしています。

その姉が70歳になりました。

姉と私は小さい頃から顔つき、体格、性格と、ホントに見事に正反対です。今でこそ、育ったバックボーンは一緒だなぁとか、細かく言わなくても分かり合えてるなぁ、と思うことも増えました。が、小さい頃はカンが強く、嫌な事は「イヤ!」とはっきり言う姉が、正直苦手でした。小さい時はよくケンカしていました。というか、よく泣かされていました。

もうすぐ姉の誕生日、というのは覚えていたのですが「そうだ、70歳!古希じゃない⁉︎」と気がついたのが誕生日1週間前。

いつもなら私の子供達、孫達も一緒に祝うのですが、なにせ気がついたのが1週間前。スケジュールも合わず、2人だけでささやかに祝うことにしました。

京都駅烏丸中央口集合…だけど、時間になっても来ない。代わりに突然ラインが入りました。「会社の人は何人?」

えぇ⁉︎いきなり何だって?(まったく、いつものことながらこの唐突さ!)ははぁん、私のお土産用に阿闍梨餅を買ってるんだな。(これがわかる私もスゴイ!)

「お土産なら今から買わなくていいよ。それより、早く集合場所に来て。予約したお店は時間より早く行って並んでないと、後回しにされるってよ。」何とか15分遅れで集合地点で会えました。

姉は正真正銘の一人暮らしなのに、両親と暮らしてていた頃の習慣が捨てられないのか(若干の買物依存症の気配もあり)、信じがたい備蓄品の山に囲まれて暮らしています。

トイレットペーパー12ロールが3パック、ティシュボックス5箱入りが3パック、鼻炎対策用マスク50枚入りが3箱、洗剤が…。と、言うのも疲れます。

小さい頃は泣いてばかりいた私も、年を経て、姉に何でも言える小うるさい妹になっています。姉の家に行くと、ついついアレコレ言ってしまいます。「もっとシンプルに暮らしたら?」「何でも予備のものは1つあれば十分じゃない?」」

ところが今回のコロナウィルス騒ぎで、この姉の備蓄癖に救われることになりました。

少し前、LINEで何度か「マスク足りてる?」と聞いてきたので、その度に「何枚かあるから大丈夫。」と返していました。答えたあとは"なしのつぶて"。これも姉の得意の"唐突"です。ウンでもなく、スンでもない、突然の投げっぱなしの問いかけ。

それでも誕生日祝いの日はケンカすることなく、小うるさい妹も登場することなく、無事終わりました。姉が食べてみたかった行列の出来る和食屋さんにも、わらび餅屋さんにも並び、梅が満開という北野天満宮にも行きました。どこも先を急ぐことなく、2人でグダグダしゃべりながら、のんびりと過ごすことが出来ました。「こんな時間もたまにはいいね。また来ようね。」

夕方、別れる間際の京都駅。既にどの売店も阿闍梨餅コーナーには「本日分は売り切れました」の貼り紙がありました。じゃあ、また!と言いながら、姉が1日背負っていたリュックから、阿闍梨餅と備蓄のマスクを1箱取り出して、私の手にのせました。「今日はありがとう。」

何でもがホントに唐突!!そしてぶっきらぼう!!なんだけど、これが姉なりの愛情表現。お互いに1人しかいない存在の有り難さを、しみじみ感じました。

そして、古希祝いの京都小旅行から1ヶ月。昨夜仕事から帰ったら、姉からの郵便物が届いていました。

中にはマスクが20枚。そしてラインが入って来ました。「そろそろ足りなくなってるかなと思って。」

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