今頃になって暮れの話ですが…。
毎年12月30日にやると決まっている事があります。おせち作りです。お節料理を毎年同じ日に作ると決めている方はたくさんいらっしゃると思いますし、珍しいことではないと思います。私の場合は、一緒に作る人たちが、家族でもなく、親戚でもない、ご近所様でもない、というところが他と違うかなと思います。かれこれ24年続いています。
今から24年前、夫が亡くなり、生まれて初めて働き始めた時、配属された仕事場にいた先輩女性2人がそのお仲間です。先輩と言っても私より若く、当時Hさんは32歳のシングルマザー、Aさんは結婚式を控えた23歳のお嬢さんでした。44歳だった私が、仕事に馴染むように毎日教え、支え、励ましてくれた2人です。初めての年の瀬に、私は確か喪中でしたが(笑)、お節料理を作りたいけど一緒に作れない?ともちかけられて、じゃあ作ろうと始まりました。
以来、毎年朝8時半にコメダに集まり、モーニングコーヒーを飲みながら作るメニューを確認し、買うものを決め、市場で買い物し、と全てがなめらかに無駄なく動きます。3人の家が持ち回りの会場となり、24年の間に生まれた子や孫も自然に出来ることを手伝うようになりました。裏ごし隊、かき混ぜ隊、タツクリ隊として立派な戦力です。頃合いを見て食べるお昼ご飯は、決まってAさんのお母様の手作り散らし寿司です。これがまた美味しい!夕方には出来たお料理を分配し、かかった費用を3分割し、最後にティータイムをしてまた来年!と解散します。
24年の間にはいろんなことが起こります。Hさんは再婚し、その後いろんな事があって心身症を患いながらも会社勤めを果たしています。当時3歳だった1人息子君は独立し、今は夫と別居中。Aさんは結婚し、2人の子供を出産したあと離婚。仕事をバリバリこなし、現在は若くして子会社の役員として大活躍しています。私は2人の子供がそれぞれ結婚し、5人の孫のバァバになりました。途中転職のため東京に移住しています。
3人が同じ仕事場にいたのは5〜6年でした。年齢も性格も違うからこそ、お互いの良い所がよく見えて認め合っていたな、励まし合っていたな、助け合っていたな、と今思います。それぞれ何かが欠けている状況だったからかもしれません。夫と別れ幼児を抱えてフルタイムで働いている人。数年後同じ状況になった人。夫が亡くなり学生2人を養うことになった出遅れ社会人一年生。私は心あたたかい2人のお蔭で、夫が亡くなった悲しさ、寂しさにどっぷりつかることなく、前を向いて日々を過ごせたと今でも感謝しています。お互いがお互いを励まし合いながら元気をもらっている、そんな毎日でした。
病気になろうが、離婚しようが、どこに住もうが12月30日は来ます。仕事場が変わってからは1年に1回、その日だけしか会わない年が、ほとんどだったかもしれません。だからこそ、その日会うこと、顔を見ること、一緒におせちを作ることが3人の大切な時間になっています。
今年は会場が息子宅だったため、我が家のお嫁さんも大活躍。彼女も子育てが一段落した数年前から仲間入りしています。年越しを過ごすため泊まりに来ていた96歳の義母もお昼とティータイムには参加して、みんなに「変わらない!」と褒められてニコニコ。
ちなみに、娘の夫の実家はこの日が「お餅つきの日」と決まっています。なので娘が結婚してから一緒におせちを作っていませんが、毎年、お正月用の切り餅と、手作りの大福餅を引っ提げて、その日の夕方おせちが出来上がった頃に、家族そろってやって来ます。出来上がったおせちを楽しみに。
長〜い話になってしまいましたが、人の縁ということをとても感じるこの年中行事のことを、自分でもどう捉えてるいるのか、整理してみる機会になりました。