先日、夫の25回忌の法要を大阪の菩提寺で行ないました。95歳の義母は引越し以来、一年半ぶりにお墓参りに行くのを、若干の不安を持ちながらも心待ちにしていました。北海道の義妹夫婦、義妹の長男家族、私の息子一家、娘一家と、総勢17人の予定を合わせて当日を迎えました。
1月下旬、武漢肺炎のニュースが広まり始めた矢先のことです。その日の朝、義母を迎えに行く予定の息子の妻Mちゃんから「どうしましょう!」とラインが入り、義母からのメールが転送されました。
「もし私が人混みに出て新型肺炎のウィルスを拾ってしまったら、もし同じマンションの皆さんにうつしてしまったら…そうなったら申し訳なくて、終の棲家と決めたこのマンションにいられなくなります。今回の法事は失礼させてもらいます…」出かける前夜、そこまで考えると眠れなくなってしまったそうです。
なかなかな急展開!新幹線の中でそれを見た私は、えぇ〜⁉︎今日になって〜⁉︎折角体調もいいのに!いろんな反論が渦巻きました。全ては義母が不安なく行けるように、Mちゃんも娘も私も、アーだコーだと相談してきたのに〜、そんな〜!こっち都合の感情噴出。ただ、義母の文面を読むと、もう決めてしまったのだな、と思わざるを得ませんでした。
と、ここで仕事の中で教わった「受け止める」ということを思い出しました。「話を聞く」ことの中で、相手の話が自分の思いと違った時でも、否定せずに聞く、受け止めることが大切です。心から受け止める、その方法は「そうなんですね。○○さんは今そう思っていらっしゃるんですね。」と心から言うのです。
新幹線の中から義母に電話しました。「…考え過ぎだと思うのよ。」そうだと思います(若干責めてる風)。でも、もう決めてしまわれたのですね。不安を抱えて行くことはシンドイですものね。わかりました。私たちで行ってきますね。でもF子さん(義妹)たちはがっかりなさるかも。お電話差し上げてくださいね。「そうするわね。」義母の声がホッと和んだように聞こえました。…反論せず、義母の気持ちを尊重し…あぶなっかしい「受け止める」ではありましたが、ギリギリで踏み止まりました。ヤレヤレ。
豊中のお寺で法事、大阪で会食、新幹線で名古屋へ戻り、と無事予定通りに運び、皆で賑やかに亡夫の思い出話もたくさんできて、とても楽しい時間になった法事でした。でもこのスケジュール、義母にとっては新型ウィルスに感染しないまでも、今の体には大きな負担になりかねなかった、とやっと義母の生身に思いいたりました。
年齢のイメージよりはるかに元気なので、つい私もまわりも"義母は大丈夫"と思ってしまう傾向があります。今回は義母の"考え過ぎ"がよいブレーキになって、体力を奪わずに済んだのかもしれません。よかれと思って"義母の1年半振りのお墓参りを成功させるプロジェクト"を準備したことは、こちらの自己満足だったのかもしれなかったなぁ、と苦笑いです。
それにしても「受け止める」方法は、反論せずに済んだ、と思えた私自身の気持ちも穏やかにしてくれました。